2010年03月23日

絶対音感

絶対音感を持っている人は、どんな音に対しても音名を答えることができるという。

すごい能力ではあるが、日常生活で変な音には不快感を感じることがあるという。


俺には「絶対音感」はないが、猫の発情期の声が子どもの声に聞こえるように日常で耳に入る音が、まったく違う音として聞こえてしまって、気が散って仕方がない。

こないだは、台風かと思うくらいものすごい暴風と雨の音が窓の外からずっと大きい音が聞こえてた。



ヒュン、ヒュン、ヒュン、ヒュン、ヒュン(暴風)
タタタタタタタタタタタタタ(雨の音)

わはああああぁあああーーーー(風の音)


普通なら強い風と雨の音なのだけど、俺には・・・

















でっかいオッサンが縄跳びしている音にしか聞こえない。


俺んちの横で、でかいオッサンが懸命に二重跳びして「わはあああー」って叫んでる姿を想像しながらガクガクブルブルしてた。
posted by ぺっくん at 05:26| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月16日

子どもの頃の遊び。

任天堂DSっていうのだろうか?携帯型のゲームで小学生達がずっと下向いてピコピコ遊んでる。しばらく様子を見てたのだけど、驚くことに友達同士でまったく会話をしていない。


釣り場でも見かけるのだが、子ども達がまったく釣りをせずにずっとゲームをしてる。せっかく海に来てるのにもったいないなーって思ってみてたけど、お父さんだけがハイテンションで頑張ってる。


それが今の時代なのかもしれないが少し寂しい気もする。


本来、俺は子どもは「遊びの天才」やと思ってる。どんな物でも遊び道具にして楽しむことができるのだから。

俺が小学生の頃はちょうど、ファミコンが出るか出ないかの中間の世代。世の中でファミコンブームになってて、学内でも比較的裕福なグループはファミコンを親に勝ってもらってたが、俺のグループは俺も含めて貧乏人が多かったので当然、買ってもらうことはできないわけである。


それで何をして遊んでたのかというと、小学生の頭の中で色々と想像力を働かせては常に遊びを開発していたのである。

特に印象に残っているのが、プロ野球チップスのおまけについてる野球カードを集めてのプロ野球ゲーム。今のカードゲームのように複雑なものではない。笑ってしまうくらい単純なゲーム。


まずはオマケのカードを9選手集めてチームを作る。

これが意外と俺にはハードルが高かった。当然、阪神なら阪神、巨人なら巨人とチームを統一にするので9選手そろえるのに相当のクジ運とお菓子を頻繁に買うお小遣いがいる。


クジ運もお小遣い額も残念な俺は、なんとかギリギリ「巨人軍」は作れたものの、9選手のうち、4選手が、




絶好調!中畑清。

nakahatakiyosi.gif



1チームに4選手が同一人物という、なんとも不気味なチームができてしまい対戦相手からずいぶんクレームを受けたが、隣町の少年野球チームにいた3つ子の子を引き合いに出して何とか事なきを得た。


大きなダンボール箱の上に野球のグランドをマジックで書く。これがゲームの舞台である。ルールは、対戦相手とジャンケンをして先攻と後攻を決める。守りの時はカード9枚(9選手)を各守備位置に置く。

攻撃はまずは一番バッターのカードからバッターボックスら辺にカードを置いて、そのカードをデコピンの要領でカードを指で弾くのである。

飛んだカードが守備に置いてある対戦相手のカードの上に落ちればアウト!それ以外ならヒットorホームランとなるのである。


デコピンのさじ加減で試合が決まるいい加減なゲーム。

なのでルールを決めることにした。おもいっきりデコピンをしていいのは強打者だけでそれ以外の選手は中指以外で弾くなど打者の差別化を図った。

俺のチームでおもいっきり弾いていいカードといえば、4番打者の原辰則と中畑清Aだけ。中畑B,中畑C,中畑Dはダメ。けど終盤になると、どれがどの中畑かわからんようになって結局、全中畑を強打者にしてしまったこともある。

で、流し打ちの得意な篠塚はライト方面にカードをはじくなどいぶし銀の渋さも演出した。



・・・・・・・・・







で、今冷静に考えたら何が楽しいのかまったくわからないゲーム。


だけど、毎日、ゲラゲラ腹抱えながら遊んでいたな。


この野球カードゲームが飽きればまた別のゲームを開発したりした。

この時の楽しむための創意工夫の経験は大人になった今でも、実は生きてたりする。

どんな環境でも、その状況に応じて楽しむためにどうすればいいのかを常に考えることができるから、オッサンになった今でも腹を抱えて笑うことができるし、明日が何だか待ち遠しくなったりするのだと思う。
posted by ぺっくん at 06:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月11日

夫婦の絆を考えると思い出す。

今月から春にかけて、後輩や友人たちの結婚ラッシュが続く。

幸せの門出に立ち会えることは、とても嬉しいことでもあり、結婚する人達は本当に幸せになって欲しいと願う。

夫婦って考えるとある種独特の関係だと思うのだ。書類上は夫婦だけど家族と違って血も繋がっていない赤の他人と死ぬまで一緒に連れそうのだからその「縁」たるやらハンパじゃない。
もちろん残念ながらそうじゃない夫婦もたくさんいるわけだが、それはそれで仕方が無い。縁が無かったと思うしかないわけだが・・・・


夫婦って何だろう考える時、必ず思い出す夫婦がいる。


俺が昔、足げく通っていたある漁港に釣りに行くと、そこでホームレスの老夫婦が暮らしていた。

堤防の壁に、かろうじて雨風が凌げるテントで生活をしている老夫婦で、地面に引いた段ボール箱の上で、上品で人の良さそうな笑顔を浮かべた婆さんがジーっと爺さんの背中を見つめる。視線の先の爺さんはじっと海を見つめて釣りをしている。

この爺さんは、なんとスーツ姿で釣りをしている。スーツ姿で釣竿。

その違和感たるや昔、スノボーをしに行ってゲレンデを爽快にすべる上半身裸で何故か、お茶碗と箸を持ったカナダ人を目撃した視覚的違和感に近い。


爺さんは、長年着用してか、くたびれてボロボロの洋服ではあるが高級ブランド物のスーツと革靴を着ていて、真っ白なオールバックの頭髪、眼光も鋭くどこか威厳や気品が漂う爺さん。あたかもどこかの大企業の社長さんのような雰囲気なのである。


この爺さんが、また凄腕の持ち主でリールの無い貧相な釣竿でアジをバカバカ釣っていた。リールと竿のセットだけで数万円かけてる俺はまったく釣れていない。「釣り竿はしょせん腕の延長にすぎない」という釣り吉三平の名言を思い出した。


漁港でホームレスをする老夫婦にとって釣りでの釣果はその日の食材である。釣れないとその日の食事にありつけない。そもそも趣味でやってる俺とは「釣り」に対する姿勢が違う。上手なはずだ。

常連の釣り人に余ったエサや仕掛けを分けてもらって毎日、釣りをしているそうで、いつ行っても釣りをしていた。
地元の釣り人から「社長」と言われてたので、やっぱり元どこかの社長だった人なのだろう。常連となった俺もだんだん仲良くなっていった。


爺さんはひとしきり魚を釣り終えると、釣った獲物を持って、すぐ後ろで爺さんの釣りをニコニコ見つめている婆さんが待つテントに帰る。
爺さんが「ホラっ!」って感じで今日、採れた魚(獲物)を渡すと婆さんが嬉しそうに受け取り七輪に火を起す。

爺さんは七輪の前にドカっ!と威厳たっぷりに胡坐をかいて座ると、せっせと調理をしている婆さんを尻目に古い新聞を広げて料理ができるまで読みふけっている。

いいか悪いかは別にして、ホームレスになる前から食事の時の夫婦の習慣はこんな感じだったんやろうなと、微笑ましく見てしまった。

魚が焼きあがると爺さんはまず婆さんに食べるようにうながす。

婆さんは、箸で一口、上品に魚を食べると満面の笑みで「美味しい」とつぶやく。嬉しそうに魚を食べる婆さんを見つめる爺さんの目が、これまた優しい・・・


その光景を見つめてると、何だかガーッ俺の胸が熱くなった。

爺さんの威厳、婆さんの上品さから推測するかぎり、きっとホームレスになる前は良い暮らしをしていたはず。

何らかの事情で今の生活になってしまったのだと思う。

人生って良いときもあれば苦しいときもある。良いときには夫婦であったが、苦しくなって夫婦が別れるケースは世の中にたくさんあると思う。

人によって色んな解釈ができると思うが、俺にとって、苦しい人生の時でも、この夫婦がちゃんと寄り添って生活をしている事実に「夫婦の絆」を感じて俺の胸が熱くなったのだった。

ホームレスに対する国の在り方を考えるよりも、素直に老夫婦の強い関係性に感動してしまっている俺がいた。


今はその漁港に行っても、その老夫婦はいない。

何らかの保護を受けたのか、人生が好転したのかわからない。けど、どこで生活していてもあの老夫婦が連れ添っていることは間違いないと思う。思い出すたびに幸せで暮らしていて欲しいなと思う夫婦なのである。
posted by ぺっくん at 03:59| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月01日

お芝居を見た。

友人の舞台女優さんから、公演があるからってことで招待された。


この女優さん、普段は細くてちっちゃいのだが、今回の芝居のために10Kgくらい増量したらしい。役の為に体重を自由自在にコントロールするロバートデニーロのような女性だ。しかし太らなくちゃならない役って・・・・


俺は映画と同様に芝居も好きで良く舞台に足を運ぶ。演劇の「生」感覚は映画では味わえない醍醐味の一つ。


今回のお芝居は「コメディ」だという。

実は演劇は泣かすより笑かす方が難しい。

コントや漫才ではない「お芝居」で観客を笑かすには相当のテクニックがいる。今まで俺も演劇では爆笑したこともないので期待に胸を膨れませ劇場に足を運んだ。


開演15分前に劇場に入ると既に満席の鮨詰め状態で熱気ムンムン。
空席がないかあたりを見渡す。最前列の年配の女性の横が一席だけ空いていたので「お隣いいですか?」と確認して座らしてもらう。かなり狭いがこれはこれで演劇を見る楽しさでもある。


演劇が始まった。

コメディだけあって内容がぶっとんだちょっと変わったお芝居。


要約すると、世界が健康増進の啓発傾向が高まる中、「デブ」が社会問題とされる。さがで「デブ税」ってのができて、デブ税滞納者は痩せるまで強制労働となり、やがて「デブは犯罪者・極悪人」となり、あげくのはてに「デブ取締法違反」というふざけた法律もできてしまった。

なるほど出演者の増量の理由に納得・・・。


デブに対する理不尽な抑圧に、隣に座るお婆さんは大爆笑。



当事者(デブ)の俺はまったく笑えない。


公務員である役人が、これでもかってほどデブを口汚く罵るので

デブ役の役者達は、この公演に向けてがんばって体重を増やしたと思うけど、もともと痩せてた人達が増量したのでデブというほどではなく、せいぜい「ぽっちゃり」。


デブの悪口を言われてデブ役の役者達が怒りを表すのだが、


たぶん一番、リアルに怒ってたのは














観客である俺。


デブはそこまで悪くない。


まぁ、そんな感じでデブの家族愛があり、デブの恋愛がありと物語は進む。最後は、ちょっと強引な展開だけど今の日本の政治のあり方から、世界の人権問題や平和問題につなげて観客に問題提起を投げかけた。作家の哲学や思想、表現したいことは大変よくわかったので、いい芝居だったと思う。拍手。


ところで、内容とは関係ないが、役者の中に一人、異彩を放つ俳優が。

関西の演劇界では知る人ぞ知るって感じのベテラン個性派俳優のヨシダさん(仮名)。おそらく40歳は軽く超えてると思う。



もう、この人ぶっとびすぎ。


劇中もダメ人間的な役柄すぎて引いてしまうし、観客に2回も生尻を出して「もう演劇は止めじゃー!!」って絶叫して観客を引かせるし(危うく前も見せそうになってた)、客席に何度も土下座するし。


好きな人は好きなんだろうけど、俺には、なんかもう無茶苦茶だったなって印象しか残らない。江頭2:50的な人だった。

その江頭にも隣のお婆さんは大爆笑。なんだか吉本新喜劇みたいだった。




公演終了後、隣のお婆さんが俺に話しかけてきた。


お婆さん:「どうでした。演劇?」

:「おもしろかったと思いますよ。お婆さんずっと笑ってましたね」





お婆さん:「ええ私は、






ヨシダ(江頭)の母なんですよ・・・・」



俺:「!!





そ、それはお気の毒に・・・

良い俳優さんですね・・・・(汗



お婆さん:「あの子、しばらくフランスで演劇の勉強をしてて」



:(フランスの演劇って、お尻出すのか・・??)


お婆さん:「もう、ずっと自分の好き勝手ばっかやって、あの年齢で演劇だけでは食べていけなくて・・・笑うしかありません」


:(あの笑いはそういう笑いだったのか)


お婆さん:「でも、私は応援してるんですよ。息子を」


息子に誇らしげな婆さんの眼差しはとっても深くて優しい。


こんな閉塞感が漂う世の中で、いくつになってもバカができる、いくつになっても夢を追いかけるって大事なことやと思う。


表現活動はええもんやなってつくづく思った。


posted by ぺっくん at 04:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。