2009年07月03日

生まれて初めて。

先日、某所で釣りをしていた。

大阪和歌山の間の海で家族連れの多いファミリー釣り場という感じの場所である。

小さい豆アジが釣れる度に、あっちこっちでテンション上がった大人や子ども達のキターっ!って叫び声。

初夏のファミリー釣り場は世界陸上時の織田裕二がいっぱいなんである。


キター!の声に耳をふさぎながら和歌山に古くから伝わる伝統的な手法である紀州釣りをしていたわけだ。



しかし、これが全然釣れない。


もう帰ろうかと思ったそのとき、浮きがスーっと海面に沈むと、竿を引きずりこまれるような力強いアタリが。


糸が切れないように丁寧に格闘する俺。


ガンガン海中にもぐろうとするこの引きは・・・・噂では聞いたことのある独特の引き。


「ま・・まさかこんなところで??」


俺の足は震えだした。



そして長い格闘のあとプカーっと浮かんだこの魚は












taiami.gif

真鯛!!!!!!



本当にびっくりした。


黒鯛は何度も釣ったが、生まれて初めて天然の真鯛を釣った。


しかもこんな釣れそうにないところで・・・。


網ですくい上げた瞬間、糸がプツリと切れた。


まだまだ元気な真鯛はピチピチ飛び跳ねて海に戻ろうとする。


「逃がしてたまるかっ!」


自分でもびっくりするほどの瞬発力で真鯛を抱きしめた。



俺のその姿や、















ebisu.gif

エビスビールのコレになっていただろう。



家に持って帰って図ると、40cmを超える立派な真鯛であった。


tai.gif

口の中を見ると、俺の他にもいくつかの釣り針が刺さっており、歴戦の勇者を釣り上げてしまったのだ。


勇者に感謝!


sasimi2.gif


頭は塩焼き、骨は味噌汁、皮は湯引きとまさに捨てるとこのない高級魚であった。ありがたくいただきました。


















posted by ぺっくん at 06:18| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月17日

ミスターヒトに会った。

三沢選手が亡くなった次の日、会議を終えて大衆居酒屋で飲んでいた。


その時、一緒に飲んでいたメンツではプロレスの話は盛り上がらんし雰囲気も暗くなるだろうから三沢の話はせずにいたわけだが、ふっと頭の片隅に三沢のことが浮かんでは、切なくなって芋焼酎をガーっと流し込んでいた。


そんな感じで、ガーっと芋焼酎を飲みながら、カウンターの方に目をやると巨体のお爺ちゃんも同じようにガーっと酒を飲んでいる。


「はて・・どこかで見たことがある顔だ・・」




もう一度、顔を確認して核心した。


間違いない。






ミスターヒトだっ!



その時の衝撃ときたら


思わず口に含んだ焼酎がグレートムタの毒霧状態。


muta.gif

一緒に飲んでいた仲間に悪いが、思わずカウンターに駆け寄って「ミスターヒトさんですよね??」って声をかけた。


ミスターヒトさんは、一瞬驚いた顔をした後、満面の笑みで「おおっ、そうやで」って大きな手で握手をしてくれた。



仲間達は「誰?」って感じで訝しげに見てる。たしかに日本では馴染みが無いだろう。


ミスターヒトとは、カナダのカルガリーで大活躍した日本人プロレスラーである。

mrhiro.gif

(当時のミスターヒトさん)


当時あのキラーカーンやグレートカブキ以上のギャラをもらっていた超売れっ子日本人レスラー。選手としてだけではなく、トレーナーとしても有名であり、日本でもおなじみだったあのダイナマイトキッド、ブレットハートを初め、橋本真也、獣神サンダーライガー、馳浩を育てたことでもプロレス業界では有名な人である。




ヒトさんは俺の顔をマジマジと見つめながら、




「お前は歯が綺麗だな・・・・・・















殴ってやりたい!!」





な、なんで?



今まで目が合った、肩が触れたで殴られたことはあっても、


歯が綺麗だという理由で殴られたら、それこそ歯が32本あっても足りない。


あのトンパチ(常識外れな人)レスラー橋本真也の師匠だけあってヒトさんも熊と闘ったり、「タバコ買いに言ってくる」と奥さんに言い残して1年半失踪した人。十分ヤバイ人。





殴られる可能性はゼロではない。


お爺ちゃんとは言っても元レスラー、それこそ俺では“歯”が立たない。
ストレートが届かない適度な距離感を保ちつつカウンターの前に座った。


体なんかも気さくに触らしてくれて、とても70近い老人とは思えない腕の筋肉。ヒジは皮が厚くドス黒く変色しておりエルボーをたくさんしたんやろうなって感じのヒジだ。


またヒトさん、これが実に話が上手だし面白い。

猪木、馬場さんのここでは書けない裏話から、現役人気レスラーの裏話。

中でも俺の大好きな故・橋本真也の話はすっごく楽しかった。

橋本は若手のカルガリー時代はクラッシューと言われるだけあって対戦相手を負傷させたりすることが多く、レスラーからは嫌われておりプロモーターから干されそうになっていたのである。

「しょうがねーなー」って感じでヒトさんは、自ら橋本との対戦を買って出て、誰もが逃げたがる橋本のトンパチな攻撃を「受け続けた」という。


プロレスラーは相手の攻撃を避けない。

ヒトさんの哲学は、プロレスラーは「受けてなんぼだ」という。

鍛えられた体であえて相手の技を受けまくるのである。


仲間と一緒に飲んでたことも忘れるくらいミスターヒトとの話に夢中になってる。

店の主人から「そろそろ閉店です・・・」

(もっと話した〜い)って身をよじって駄々こねたかったが仕方が無い。



「三沢死んじゃったな・・・・」

ヒトさんはとりわけ寂しそうな表情でつぶやいていた。

ヒトさんにとって三沢もカルガリーでコーチしたレスラーの1人である。


「三沢はね、本当に良い奴で良いレスラーだったよ」


俺、思わず泣きそうになる。


三沢も「受けてナンボ」のレスラーだったと思う。

相手の技から決して逃げずに徹底的に受けては受けては不死身のように起き上がって来たのである。

受身の天才とか技術が注目されてたが、プロレラーとして「相手の技から逃げない姿勢」こそが三沢のすごさだったのかもしれない。


「あいつ、いろんなところが疲れてたんやろうな」

あれだけ饒舌なヒトさんが三沢の話しになるとポツリポツリと口数が少なかった。寂しそうな目のまま、ヒトさんはガーっと最後の焼酎を飲み干した。


「また、会ったら話ししてくださいね」

太い腕には杖が握られていた。知らなかった。

足を引きずりながら歩くヒトさん。

「受けてナンボ」

多い時で年間400試合という無茶なスケジュールでレスラーからの攻撃を受けて受けて受け続けたレスラー。

やっぱりプロレスラーは命掛けなんである。


ヒトさんは「またね」と左手を挙げて夜の闇に消えて行った。


「また、話したいな〜」

あの大衆酒場の前を通る時はカウンターを必ず覗いていくことを誓ったのである。









posted by ぺっくん at 01:19| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月14日

エメラルド・フロウジョン

みっさわっ!みっさわっ!みっさわ!


やらなきゃならんことあるのに三沢が試合中に倒れたって聞いてから何も手に付かず。

みっさわ!みっさわ!ってとにかく誰かと大声で叫びたかった。


死亡の記事を見ても今だにまったく実感が沸かない。


もともと猪木の新日派だったけど、全日の三沢だけは別格だった。

2代目タイガーマスクの頃から応援してて、マスクを投げ捨てたのもはっきり覚えてる。全日もノアも三沢を見たくて何度か会場に足を運んだ。

ノアではタッグマッチやったけど橋本との殺気だった試合は足の震えが止まらんかった。


斉藤のバックドロップ?

今までもっとエグイ技を食らっても何度も起き上がってきてたやないか。


馬場さん、ジャンボ鶴田、橋本・・・・

また、偉大なプロレスラーが1人亡くなってしまった。


せめてリングの上で死ねたことは救いだと思ってもいいのだろうか?


三沢選手の心から冥福を祈ります。
posted by ぺっくん at 01:22| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月03日

魔法の言葉

「ありがとう」って感謝の言葉は“魔法の言葉”であるということを昔何かで読んだことがある。

何に対しても感謝の気持ちを持つことは豊かな生き方に繋がり人生が良い方向に行くということから「ありがとう」と一日一回は口に出す習慣を身につけろということである。


たしかに「ありがとう」と感謝する気持ちを伝える方も伝えられる方も気分の良いものであることは間違いない。


だけど、この世知辛い世の中。

なかなか日常で他人に「ありがとう」と言葉で伝える場面に遭遇することはそう毎日は無い。


なので同じ感謝の言葉で必ず一日一回は口に出して他人に言おうと実践している言葉がある。


それは、



「ごちそうさまでした」


俺はこれまでは食事してお金払ってそのまま店を出てしまうことが多かった。

今ではおつりをもらって店を出るときに必ず「ごちそうさまでした」と発してから出るようにした。


それがいつの間にか「習慣化」され自然とその感謝の言葉を出せるようになったのだ。



習慣って怖いもので、お金を払っておつりをもらった瞬間に思わず




ごちそうさまでした☆




って俺のなじみの









駐車場のオヤジに言ってしまった☆


あちゃ〜・・・・。

昔先生に「オカン」と言ってしまった時のような「やってしまった」感。駐車料金を払っておつりもらって思わず習慣で出た言葉・・・


しかも、この駐車場のオヤジは昔から笑い方を忘れたの?って聞きたくなるほど無愛想で能面みたいな嫌な野郎である。


オヤジは目を真ん丸くして赤面している俺を見た後、



「おおきに」ってニンマリ笑った。


笑顔、初めて見た。


なるほど、使い方は間違ってるけど、感謝の言葉は本当に「魔法の言葉」なのかもしれない。
posted by ぺっくん at 02:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月27日

大往生

先日、ウチの職場で定年退職をされたOさんの母親が亡くなったという。

98歳という年齢で亡くなったので大往生(だいおうじょ)だともいえる。

大往生とは仏教用語ではあるが、老衰など自然死による他界を大往生と呼ぶことが多い。

東京ということもあり、お通夜にも行けずウチの上司(韓国人)からお悔やみの電話を入れることのした。

ちなみのウチの上司は日本に来て15年以上にもなるのに、あまり日本語を知らないばかりか、超天然ボケということもあり、日ごろから大変苦労をさせられている。

ただ、「情」に関しては人一倍豊富な方なので心から胸を痛めているようだ。電話しながらも沈痛な面持ちである。


神妙に上司が相槌を打っている。


電話の向こうでOさんも悲しい気持ちを抑えながらも明るく振舞っている様子だ。そして98歳まで生きた母親を称えるかのごとく冒頭での言葉を発した。


「いや、でも母親も大往生でしたよ」


ふっと電話を聞いている上司の相槌が止まると、目の中の黒目が上にあがりほとんど白目状態になった。

ちなみにこの顔は理解ができない日本語が出てきて必死で頭の中で意味を探している時の“顔”である。


・・・・・・・・

5秒くらいの間ができた。


たしかに大往生は難しい日本である。理解できない日本語はそのまま流してしまえばいいものを・・・・。


天然ボケの頭の中で“大往生”という言葉が「閃いた!」とばかりに合致して、白目から一気に黒目が降りてくると、いつもより爛々と輝いた瞳で叫んだ。







「ええ!?お母さんは“ダイオウジョ”だったんですか?」




完全に、リアクションが間違っていますけど。


電話越しのOさんもリアクションに困っているようである。


上司の言葉はさらに続くが会話が全然噛み合っておらず、電話越しのOさんが「??」となっている姿が想像できる。俺も何と勘違いしているのかさっぱり検討がつかない。


意味不明な言葉が続くが上司の次の言葉でやっと理解した。



「では、次の“ダイオウジョ”を親族の中から作らなくてはならないんですか?」




なるほど・・・・完全に





大往生を、










“大王女”と勘違いしてやがる。

普通、少し考えればわかるはずなのだが・・・・・


意味の間違いを訂正してやろうと近づくと同時に「それでは失礼します!」と興奮気味に電話を切ってしまった。


唖然としている俺を見るやいなや、興奮した表情のまま、









「Oさん家はこれから大混乱期に突入だ」やって




大丈夫。






王女の跡目争いなんか誰もしないから。
posted by ぺっくん at 03:28| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月25日

得意な教科

俺は勉強はできん子やった。


「あんたはやればやれる子やねんから」ってオカンの呪文はまったく俺には通じなかったのである。


小学生の頃から教科書を開いて勉強した記憶がほとんどなく、算数の時間もいかに三角定規を遠くに飛ばすことができるのか、教科書に出ている歴史上の人物の肖像画をいかにマヌケ面に変えるのか、いかにクラスを笑いにして授業を潰すのかに時間を費やしていた。

本当に勉強したな〜って実感は本当に大人になってからなのである。

ただ、勉強をせずとも一貫して唯一オール5の教科があった。


俺は中学、高校と運動部のキャプテンをしていた。

よく勉強ができなかった人の唯一の自慢は「体育の成績は良かったんやけどね」って筋肉自慢をアピールする。

俺はどうだったか?

スポーツができるようになったのは中学3年生くらいから。

小学校の頃は超肥満児で横か縦かわからんリアルアンパンマンやった。俺は50m走の完走が目標。先生から「走るより転がった方が早いんちゃうか?」って言われる散々な成績であったことは言うまでもない。


では何の教科が得意だっのか。

それは




美術


意外と思われるが美術の成績はずばぬけて良かったのだ。

描いた絵はだいたい学校や市のコンクールで入賞された。

山で枯れ木を集めて作った工作も何かの賞を取って展覧された。

大阪城の写生会で俺の絵をジーっと見てたベレー帽のオヤジが「ワシのとこで勉強するか?」って迫られたこともあった。(もっとも先生とこに走って逃げて変質者扱いにしてやったが)。

英語のテストは3点だったけど、裏面の先生の似顔絵は「very good」って100点を付けてくれてた。

担任でも何でもないのに、美術の先生が異例の家庭訪問に来てオカンにその道〈芸術〉を進めてた。

俺の描いたクラスメートをモデルにした漫画が一時期、クラスでは少年ジャンプより読まれていた。

ってな感じで自慢では無いが芸術に関する武勇伝はいっぱい。

手前味噌だが、とにかく想像力だけは豊な子だったと思う。


ただ、振り返ると俺の場合は芸術的センスというよりも、人に喜んでもらいたい、笑ってもらいたいってのをいつも想像してた。

それが何となく今の生き様や今の飯のタネにもつながっているのである。

で、もしタイムマシーンか何かで小学生の頃に戻ったら俺は声を大にして言うだろう。









やっぱ、しっかり勉強しとけば良かったorz



記憶量も衰退しつつある脳が腐りかけの三十路男の後悔の声(泣)

posted by ぺっくん at 22:47| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月22日

東京と大阪の有名人。

東京で生活している友人曰く、買い物とか飯食いに行ったら普通に芸能人を見かけるらしい。

芸能人がいても周りは特に騒がず、一般人と同じように見て見ぬふりをされているらしい。

大阪ではまずあり得ないだろう。

マイケルジャクソンだろうがオバマ大統領だろうが大阪にいれば「アンタ、何してんの?」普通に声をかけるのが大阪のおばちゃん。


さすが東京って感じだ。


連れ合いも東京に遊びに行ってて、メールで知らせてくれた。

今、安田美沙子を見たとか、熊田曜子がいるとか。


大阪ではまずありえない。



大阪のロケで見かける芸能人といえば




だいたいは、










タージン。






かれこれ10回はタージン目撃してるかな・・・

ロケは天才なんで大好きなんやけど。


posted by ぺっくん at 23:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月20日

説明してくれる人達へ

道の説明してくれる人。


次の交差点を“東”とか“北”とか「東西南北」で言われても全然わかんないので、できれば



右か左で言って欲しい。



あと、広大な土地の大きさを説明してくれるのに、



○○ヘクタールって言われても全然、ピンと来ないので。


ましてや、






東京ドーム5個分”とか、もっとわからんから。



できれば、






畳、何畳とかで言って欲しい。


そしたら、広い〜ってのがわかるから。

posted by ぺっくん at 01:08| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月16日

トイレの修理

昨年から我が家のトイレの水洗タンクが調子悪くて、チョロチョロとずっと水が流れっぱなし状態であった。


タンクを開けるとビックリ。


以外と水洗トイレのタンクって原始的にできているんだ。

トイレの「流」レバーを回すと、ヒモで連動されているタンクの底の穴を閉じているゴムがパカっと浮いてそこから水が一斉に便器に流れる。

で、レバーを戻すとゴムが閉じて水が止まる。それで空になったタンクに水が溜まっていく。一定量タンクに水が溜まると自動的に止まる。

自動的に止まるのだが・・・・


アポロが月に行って40年。

人類の科学の進歩は目覚ましく、現代ではあらゆることがコンピューターで制御できる時代となった。


なのに、タンクの水を止める手段が









浮き袋って。




uki.gif




センサーとか無理なのか?



その「浮き袋」だが、水位が上がると水に浮いている浮き袋も一緒に上がり一定の水位に達すればカチ!っと水が止まるシステムなのだ。


で、調べてみると、底のゴムが劣化してて、そこから便器に水が漏れ続けてて、いつまで経ってもタンクに水が溜まらないため、水がタンクに流れっぱなし状態だったようだ。





浮き袋は浮いているだけ。


これぐらいならクラシアンを呼ぶまでもなく、ホームセンターでゴムを買って見事に修理することができた。


連れ合いは水道代の節約もそうだが、何よりリビングに居ても聞こえるトイレからの水の音が止まったことを大喜びしている様子だ。

だけど、俺は若干の寂しさを感じている。


だって、トイレから流れるチョロチョロが、










清流のせせらぎの様で心地良かったもの。



音だけなら我が家も日本清流百選に選ばれてたはずなのに・・・・


posted by ぺっくん at 03:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月14日

54歳な20歳

昨日、医療関係のエントリー書いたら面白い話を発見。


20歳に成り済まし54歳父受験

奈良県三郷町の会場で11日に実施された2008年度の第2回一般用医薬品登録販売者試験で、置き薬販売業の男性(54)=大阪府豊中市=が息子(20)の替え玉として受験していたと、同県が13日、発表した。男性はパーマを掛けて臨んだが、会場で試験官に見破られた。
 男性は息子に内緒で受験の申し込みをしており、「(男性の会社に勤めている)息子に資格を取らせたかった」と話しているという。 



父親の愛に涙な話なんやけど。

>男性はパーマを掛けて臨んだが、会場で試験官に見破られた。

いや、ばれるって普通。ってかパーマとか関係ないから。

「よし!これなら20歳で大丈夫」って中高年のオヤジをその気にさせたパーマは何パーマなんだろうか気になって仕方がない。


今回の人は見破られた結果、54歳だったから問題になったけど、本当は54歳みたいな20歳だったら試験管が問題になってたかもな。


実際に俺が高校生の頃にオヤジみたいな高校生がクラスメートに存在していた。

高校生なのに丹波哲朗のような風貌をしてて、みんなから親しみをこめて「ダンナ」と呼ばれていた。

ダンナの老けっぷりは見事なもので、18歳にして小豆島に25歳の隠し子がいるとか、おでこの傷は大阪大空襲でやられたとか、高2の時、野球部の練習試合で「今日は、ひとつよろしくお願いします。」って相手側の監督から頭を下げられてたとか、ダンナ伝説の噂は枚挙にいとまがなかった。


ところが、あれから15年。

最近街で、偶然にダンナと遭遇した。



なんと、




ダンナが若返っているではないか。


いや、厳密に言うと変化がなかったのかもしれない。

高校生の頃より若返ったような気がしたのは、ダンナが若返ったというより見た目が年齢に近づいたからなのか。俺がオッサンになったからなのか。


ダンナに「お前も年取ったな」って言われたときは軽い殺気を覚えたが、ダンナはびっくりするほどそのままだった。

大事な青春時代に既にオヤジだったぶん、逆にオヤジっぷりが洗練されていて、お洒落で格好良いチョイ悪な丹波哲朗になってたのだ。


もしかしたら、50歳になった時、俺の方が老けているのかもしれない。


俺もアンチエイジングを心がけて、50歳になったら子どもの代わりに


五木の模擬テストでも受けに行こう。
posted by ぺっくん at 00:58| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする